意味ありげな生を求めて

あるかわからない人生の意味を、文学の森で探す手書きの地図

東京百景(又吉直樹)「感動的とさえ言えるマスターピース」

いちばん最近読んだ、最近出た本だ。著者の又吉直樹さんは芸人で、芥川賞作家。

 

十数年、部屋にテレビのない生活をしているので、正直、又吉さんの芸人としての側面には疎い。

 

そして、現時点で、又吉さんの芥川賞受賞作「火花」(ずっと花火だと誤認していた)などの小説は読んでおらず、映画で見て面白かったのでそれで満足してしまったところがある。ほかの作品も次々に映画化されそうなので、純粋に文章を読むために、このエッセイとも小説とも言えそうな短編集を買った。

 

わたしはたぶん、世間一般の水準からすると、わりと本は読むほうで、海外文学(欧米以外を含む)や古典文学、ときに英語限定で原文を読んだりするのだが、その中でいちばんにこの本をもってきた意味は、最近読んだというのもあるが、そのくらいよい本だと思ったからだ。

 

どうせ有名な芸人さんが書いたから、売れたり賞をとったりしたんでしょう。

 

という先入観がなかったわけではないし、それはひとつの事実だと思う。 

もし又吉さんがそれなりに名のある芸人でなければ、そもそも発表のチャンスは与えられなかった。又吉さんは、芸人生活の恩恵ではじめから自分の名前で文章を書く場が与えられた人で、名もないその他大勢とは明確に違う。

 

それはそれとして、又吉さんの作品は、たとえばかつてP社の賞を出来レースでとった元俳優さんの「KAGEROU」なる小説とは比較にならない。してはいけない。文学の世界では、たしかに、コネや世襲的な要素もじつは大きい。しかし、この「東京百景」を読めば、もし又吉さんの小説を一冊も読んでいなくても、芸人としてのネタを見たことがなくても、頑張った作文レベルで文学している人ではないことがわかる。

 

「東京百景」を読むと、又吉さんが芥川賞をもらったことを、「東京百景」のどこかにいたかもしれないひとりとして、ともによろこびたくなる。又吉さんと同世代のいわゆるロストジェネレーションの人、あるいはそうでなくても自分は不遇だ、と思って、他人の成功をうらやむことの多い人にはあえてすすめたい。

 

全体のトーンとして、「東京百景」のなかの又吉さんは長い不遇を経験していて、それは本当だったのだと思う。同時に、一貫してずっと恵まれていたのではないかと思う。というのは、出てくる人たちがよくも悪くも非常に魅力的で、先輩や後輩や相方、そういった存在が語るべき内容をもたらしている。語るべき内容がある人生というのは、ないよりはいくらかマシなはずだ。文学というのは、つまるところ人間を書くものだと思うからだ。

 

「東京百景」のいちばんの読みどころは、漫才コンビ「ピース」の相方、綾部さんについての後記と、「せきしろさん」の章だ。

 

字面でしか知らなかったせきしろさんが、低俗な雑誌「SPA!」の低俗な企画「バカはサイレンで泣く(通称バカサイ)」の人だとはじめて知った。バカサイを読むために、「SPA!」を毎号コンビニで立ち読みしていた一時期があった。「東京百景」のせきしろさんの章を読み、滅多にしない感動をした。その行いを知れただけでも、この本には価値がある。