意味ありげな生を求めて

あるかわからない人生の意味を、文学の森で探す手書きの地図

百年の孤独(ガルシア・マルケス)「生涯残る読書体験」

コロンビアのノーベル賞作家、ガルシア・マルケスの代表作にして、世界文学とくに欧米以外の文学のなかでは、間違いなく歴代一位の候補のひとつに挙げられる小説だ。多くの人が、欧米以外の文学作品、というと、この小説を口にすることになる。そしてじっさい、その価値がある。

 

いったい、この小説のなにが、そう思わせるのか。

日本の流行小説のようなキャラクター小説ではないし、ご都合主義小説でもない。主人公を輩出するブエンディーア家の人々の、名前の似たような(ときに同姓同名の)男女が、時代のいろいろな出来事を経て、子どもや孫の代まで時間を重ねていく。その描写は淡々としていて、人という駒を俯瞰しているかのようにも見える。

 

かといって、飽きることか読みづらいということもなく、どんどん読み進められるのだが、あとに残るものは、人間が生きて死ぬ、ということに対する全体的な印象だけで、人間個々の存在はぼんやりしている。そして、人間の生が、全体のなかではあっけなさすぎるものであるからこそ、逆説的に、現在進行形では、そのひとつひとつがかけがえのない、置き換えがたいものに変わる。

 

日本だと、戦国時代の山梨県周辺を舞台にした深沢七郎の「笛吹川」が「百年の孤独」に近い雰囲気をもっているが、「笛吹川」のほうが「百年の孤独」よりも先に発表されている。深沢七郎が現代において人気を博しているとはいいがたいが、日本で数少ないほんとうの世界文学のランクにある人だ。

 

百年の孤独」は分厚く見える本で、読みはじめるのは勇気がいるが、読むならなるべく、ほかの雑事を挟まずに一気読みできる時間を作って読むことを強くおすすめする。

そして、一度読み切ると、その読書体験は残り続ける。